誰も期待していなかった無名新人

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みなさんおはようございます。

今日は駒澤時代の出来事を赤裸々に告白していこうと思います。

今回は高校時代無名言われた選手がなぜ駒澤大学に入れたのか、

なぜ一年目から記録を向上することが出来たのかブログに書いていきたいと思います。

高校時代の成績

高校時代は広島県の世羅高校で陸上をしていました。

5000mのタイム14分27秒、

高校時代はインターハイや都大路(全国高校駅伝)の

出場経験ゼロ、

都大路に限っては3年間補欠として出場しましたが

都大路の舞台を走ることなく終わってしまい、

高校時代は二軍のエースとして幕を閉じてしまいました。

なぜ駒澤大学に入学できたのか

そのような選手がなぜ駒澤大学に入学できたのかというと、

これは間違いなく運です。

駒澤大学は無名選手を育成するのに長けている部分もありますが

自分をスカウトマンが見つけてくれたことは運が一番であったと思います。

なぜスカウトが来たかというと当時は世羅から駒澤へ選手が流れておらず、

自分の後輩たちの勢いがすごかったのもあり、

その選手を呼ぶためのパイプとして呼ばれていたと思います。

真相はわかりませんが試合の偵察はなく、急にスカウトマンが

世羅高校に押し掛けてきたのは今でも鮮明に覚えています。

なぜ記録が伸びたのか

なぜ記録が伸びたのかは間違いなく反骨精神です。

反骨精神を刺激したのは大八木監督の言葉です

入学してすぐ、トレーニングの準備をしていると監督から

「高校時代補欠で終わって悔しい思いしたなら、見返してやる、強くなってやる、気持ちを持たないといつまでも勝てないよ」

とその言葉をかけられました、

その言葉は当時の自分と今の自分の中に強く残っています。

高校時代都大路を走ることを目標にして一度も走れなかった思いは自分にとってはかなり悔しかったです。

それを大学のトップレベルを何人も輩出している監督にいわれたので刺さらないわけがないです。

監督にはすべて見透かされており、自分を強くするビジョンが見えていたのかもしれません。

バケモノぞろいの駒澤大学

インターハイや都大路を走ったことのない選手なので

同学年の中では後ろから数えたほうが早いぐらいの実力で、

駒澤大学の当時の四年生は、村山謙太さんや中村匠吾さんと

例えるならライオンとトイプードルのような差がある強者揃いの中にいました。

とっても怖かったですが一緒に練習することで意識も変わりました。

伝説のチケットもぎり

当たり前のように入学してすぐ実力がつくわけもなく、

当時の駒澤大学では一年生の中でタイムの遅い順で

5月の関東インカレの「チケットもぎり」という名誉ある役員を任されます。

自分もその名誉あるチケットもぎりをしました。

今ではそれを登竜門と呼んでいます。(笑)

旧駒澤寮(道環寮)の監督部屋で3人肩身の狭い思いをして寝たのはいい思い出です。

なぜ監督部屋で寝たかというと、

当時一年生は上級生と同部屋になるシステムで

関東インカレのチケットもぎりの朝早いため

先輩に迷惑をかけないよう関東インカレの期間監督部屋で寝ていました。

広さ10㎡ぐらいかな、

強くなる決心

チケットもぎりをした3名で必ず箱根駅伝を走る

という誓いを立て、高校時代の悔しい思いとセットで

死に物狂いで練習にしがみつき

何があっても離れない、あきらめない思いを常にもち練習をしていたら

気づいたときには記録が伸びていました。

日本最高レベルの選手が4年生にいたこと、

一つ上の学年に中谷さんがいたことで目標とすべき人が

明確化できていたことも記録が伸びた要因の一つであると感じています。

まとめ

強くなるきっかけは人それぞれです

ですが努力する、継続するという点は皆同じなのではないのでしょうか?

どのような状態になっても自分は諦めません。

満足いくまで走れるよう自分の陸上と向き合っていきます。

明日は駒澤の上下関係について面白おかしく話していきたいと思います。

今後ともよろしくお願いいたします。

コメント

  1. うい より:

    とっっっっても貴重なお話。。。
    知ることができて本当に嬉しいです(´;ω;`)

    駒澤大学、そして大八木監督に出会う運命だったのだなぁ~と思いました。
    ご縁があったからこその出会いで、今の工藤くんがいる。
    とっても素敵なお話ですね(*^-^*)

    明日のお話も楽しみにしています!